今年もやってきた下田の黒船祭、5月19日土曜日、下田の街中に見学に行ってきました。
この祭は70年も続いていて、1854年ペリーが来航し下田の了仙寺で下田条約が結ばれたことを記念して開催されています。
1639年(寛永16年)の南蛮(ポルトガル)船入港禁止から、この1854年(嘉永7年)の日米和親条約締結までの215年間を「鎖国」と呼びます。
このとき、吉田松陰が弟子の金子と二人で停泊中のポーハタン号へ赴き、乗船して密航を訴えるが拒否され、密航の罪を自首して伝馬町の牢屋敷に送られ、井伊直弼による安政の大獄で1859年(安政 6年)に斬刑された。享年30才。
辞世の句は「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」。家族宛には「親思う心にまさる親心けふのおとずれ何ときくらん」と残している。
この長州藩の藩主軍事教育係が刑殺されたことによって、幕末の維新運動が大きく動き始めるのであり、この1854年ペリーが来港が日本の夜明けになったようです。
このとき「SHIMODA」の名前は全世界に喧伝されたはずです。あれから215年後、もう一度「下田」の名前を全世界に向けて発信したい。
私が創設した社団法人伊豆半島地域おこし研究会の主旨はそこにあります。
伊豆半島の大自然はそのままに、百年の計で地域おこししたい・・・
興味ある方はぜひご一緒に活動していきませんか。