(プロフィール1からの続き・・・)
「心の病」で退職した私は、都会生活から逃げるように高尾山に入りました。
西東京の八王子の高尾山系の陣馬山という山里に恩方という小さな山村があり、そこに東京都で唯一の白炭を焼く白炭窯の炭焼職人がいるという話を友人から聞いていたので、さっそくその炭焼名人を訪ねました。
自己紹介し、炭焼きに興味があることを話し、その場で弟子入りを懇願し、許可されました。日々の糧を得る方法として間伐作業の見習い作業員(日当5,000円)の仕事も紹介してくれました。
翌日から車の中にテント一張りとキャンプ用品を詰め込んで、冬の陣馬山の斜面にテント張って炭焼き修行&間伐作業の仕事に取りかかりました。
雪が降ると、テント周辺はあたり一面の白銀の世界で、電気ガス水道もなく、飲み水は100m谷を降りた渓流まで汲み行き、食べ物は近所の農家から分けて頂いたサツマイモと即席ラーメンだけの生活が続きました。
トイレは穴を掘って野グソして葉っぱでケツをふく、まるで縄文時代の狩猟民族のような山暮らしを3ヶ月続けました。
肉体的には非常にキツイ労働環境と生活環境でしたが、ところがこれが思わぬ幸運の第一歩となりました。
この着の身着のままの原始人のような生活が、心の病(うつ病)を持った私の心と身体に、新しい命の息吹を与えてくれていることに気がつき始めたのです。
例えば、真冬の間伐作業見習いや炭焼き作業は体力的にものすごくきつい仕事でしたが、キコリや炭焼き師などの山男たちとのコミュニケーションはとても新鮮で、楽しかったのです。
そして、真冬の山暮らしは死ぬほど寒くて不便な毎日でしたが、例えば早朝、朝霧立ち込める神聖な森の中で、日の出を見上げながら大地に穴を掘ってウンコするあの快感は、ちょっと奇跡の喜びとでも言いましょうか、全身の37兆個の細胞が歓喜の叫びを上げているような感じに包まれました。
特に排泄のことでは、身が裂けるようなつらい体験を何度もし、魂が悲鳴を上げるような体験も幾度となく重ねていたので、朝日を見上げながら毎朝ウンコするたびに、これほど感動的で、これほど喜びで、もう朝から歓喜と奇跡の連続でした。
都会から離れて、山ごもり生活で、何か今までに無い新しい価値観が、私の内部から発芽しているのが感じられました。
「よし、これだ、俺はこれで行こう、こんな自然をテーマにして起業しよう、そして、やればやるほど自分のエネルギーが湧き出てくるような、そんな事業をしよう!」
と、山ごもり3ヶ月でそんな前向きな気持ちが湧いてきました。そして山で知り合った山男たちのツテで南伊豆に竹炭の炭焼き師として移住することになったのです。