(プロフィール2からの続き)
高尾山系の陣馬山でのキコリ修行、炭焼き修行で知り合った山男の一人が私に提案してくれました。
「俺のかあちゃんが、南伊豆に竹林を持っているので、そこで竹炭でも焼いて、販売してみたら?」
そのころ間伐作業見習い日当5,000円の私には、特に未来設計もなく、一も二もなくこの友人の提案に渡りに船でOKを出して、1999年5月、誰も知る人がいない伊豆半島最南端の南伊豆町、弓ヶ浜に移住しました。
私の引っ越し荷物は、中古60万円で買った軽バンと、キャンプ用品と、中古7万円で買ったハスクバーナのプロ用のチェンソーと、80万円の入った預金通帳でした。
「この80万を使い果たした時に、まだ金を稼ぐ手段を見つけていないときは、伊豆で乞食になろう」と本気で覚悟した上での移住でした。
まずは天城山系の南伊豆の孟宗竹の竹林の山中でテント自炊生活しながら、竹炭の炭焼き窯をつくり始めました。そして孟宗竹の竹炭の製炭を山中にテント生活しながら開始しました。
南伊豆の竹林は陣馬山よりも数段に暖かかったので、快適な炭焼き生活が始まりました。
南伊豆の孟宗竹は厚みがあり固くて良質な竹炭が製炭できました。当時は、竹炭ブームもあり、多少の現金が入ってくるようになりましたが、男一人生きていくためにはぜんぜん足りないので、夏休み海水浴客を相手に「竹炭ヤキトリ」を自分で焼いて浜辺で売り歩きました。
夏のビーチで、竹炭で焼いたヤキトリというのがちょっと当たって、ひと夏ヤキトリだけで230万円の売り上げを記録しました。
えええ~、なんだなんだ~、俺が焼いた竹炭は売れないけど竹炭で焼いたヤキトリは売れるわけね。
それなら毎年夏に弓ヶ浜の海水浴客相手に「炭火バーベキューの海の家」やれば、とりあえず1年間生活できるかな?と考え始めました。
この移住後、最初の年の一夏の焼き鳥売上230万円を頭金にして、国民金融公庫沼津支店から800万円の融資をなんとか取り付け、翌年春、ログハウス2棟を新築し、貸し別荘コテージ経営を開始しました。
セコム時代は、新規事業の企画部門にいたので、銀行融資のための事業計画作りは得意中の得意でしたが、なにしろ定期収入のない新米の炭焼き師なので、融資担当からもまったく信用されず、何度も何度も沼津支店まで押しかけて、やっとのことで800万円融資を引き出したのです。
人には無駄な人生など無い、とよく言われますが、このときほどサラリーマン時代の仕事経験が役立ったことはありませんでした。ほんと、無駄な人生なんて無いんですね。
さて、その後は、「弓ヶ浜へ30mのバーベキューコテージ」というキャッチコピーで人気が上昇し、2008年には年間宿泊稼働率が41%という数字を記録して、当時の旅行代理店ランキングで観光地貸し別荘コテージ部門で伊豆No.1にランクインしました。