Taku の紹介

南伊豆の弓ヶ浜前でバーベキューコテージを経営。地元漁師。ファミリー貸切釣り船ツアー、カブトムシ・クワガタ採集ツアー、青の洞窟サップツアーなど自然体験遊びをガイド。1kg地金目鯛を丸ごと一匹使ったジキンメ五品コース提供。趣味はサップ、アウトリガーカヌー、サーフィン。好きなモノは、純米酒、鍋、司馬遼太郎。

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅3最終回(白浜神社遺跡)

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅3(白浜神社遺跡)

白浜海岸横の白浜神社、この神社の裏に35000年の歴史を刻む古代祭祀遺跡がある。

 

卑弥呼の邪馬台国以前の西暦100年から200年に栄えた南伊豆町下賀茂の古代都市「日詰遺跡」、そこから始まった私の郷土歴史の探訪の旅はこの白浜神社遺跡でそろそろ終着駅になりそうです。

・・・南伊豆の古代祭祀遺跡の特徴は、山の祭祀と海の祭祀に分類され、山の祭祀遺跡の代表は弥生時代の日詰遺跡(または下田市の洗田遺跡)で、海の祭祀遺跡の代表は縄文中期の白浜神社遺跡である・・・

そんな森本仮説を立てながら郷土史探訪の旅を続けていました。

そして、二つの重大な科学的事実に突き当たりました、「大島の噴火」と「黒曜石」です。

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅3(白浜神社遺跡)

白浜神社遺跡の裏の海岸からはドーンと大島が正面に見える

 

白浜神社横の白浜海岸からは正面にドーンと大島が見えます。

伊豆七島の大島は3万年前の海底噴火で島が誕生し、その後、すくなくとも2万年前から100年に1度噴火していることが地質学的に解明されているそうです。

・・・3万年前(後期石器時代)、ここ白浜海岸から見える正面の海の海底火山が噴火し、天空に噴火雲が立ち、真っ赤な溶岩が白煙とともに吹き上げ、みるみると大きな島が誕生していった・・・

・・・当時の石器人は、対岸のこの白浜海岸の丘に登り、その恐ろしい光景を何日も何ヶ月も何年も見ながら、かがり火を焚いて大島の鎮火をひたすら祈った・・・

そんな光景が目に浮かんで来ました。

 

伊豆七島、神津島の黒曜石

世界最古の神津島黒曜石は3万5000年前のものが発掘されている

 

そしてもう一つの事実が黒曜石(こくようせき)の出土です。

青銅製、鉄製の金属製の道具が使われ始めた時代より以前の長い間(旧石器時代、200万年前~1万年前)刃物として使われていたのが黒曜石です。

写真上の神津島黒曜石の原石と破片を触ってみましたが、人間が刃を人工的に研磨しなくても、原石を割っただけで鋭利な破片がいくつもできるような感じでした。当時の人々にとっては死ぬほど便利な石だったのでしょう。

日本国内では70カ所から黒曜石が採石されたそうですが、神津島からも黒曜石は採石されていました。

国内で最古の神津島黒曜石が神奈川県相模原市の橋本遺跡(後期旧石器時代22000年前)から発掘されていますが、伊豆半島でも河津町の見高段間遺跡(縄文早〜中期、5000〜8000年)から神津島黒曜石が大量に発掘されており、海上輸送の中継地だったことが推定されています。

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅3最終回(白浜神社遺跡)

河津町の見高段間遺跡から下田方面を見た風景

 

また、海外では、朝鮮、ロシアで3万5000年前の神津島黒曜石が発掘されているそうです。

つまり、伊豆半島南東部(約3万8000年前に噴火し既に終息していた河津町の鉢の山と推定されている)には少なくとも3万5000年前には旧石器人が 住んでいて神津島黒曜石の採取と海上輸送を生業として活動していたということになります。

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅3最終回(白浜神社遺跡)

河津町の鉢の山には3万5千年前には神津島黒曜石を海上輸送した石器人がいた。

 

最初の大島の噴火(島の誕生)が3万年前ですから当時の旧石器人はそれをも目撃しているこ とになります。

世界四大文明のエジプト文明が紀元前3000年ですから、その10倍以上の歴史を南伊豆の海の民たちは残しているのです。

3万5千年前の神津島黒曜石、3万年前の大島誕生・・・どうやらそのあたりが南伊豆の古代祭祀の始まりだったような気がしているのです。

これからレポートする白浜神社の境内には樹齢2000年の御神木「白龍の柏旗」がありますが、白浜神社の裏山にある古代祭祀遺跡はその10倍以上の歴史を背負っているように思えます。

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅3(白浜神社遺跡)

白浜神社の二大神様、三島大明神とイコナヒメノミコトとの歴史は・・・

 

白浜神社の御祭神は五つ(写真上)で、筆頭が三島大明神、紀元前500年、南方より海を渡ってきたという神話があるそうです。次にその后の伊古奈比咩命(イコナヒメノミコト)。この二神がきわめて重要です。

まず、三島大明神(ミシマダイミョウジン)ですが、この三島とは白浜海岸の正面に浮かぶ大島、利島、新島のことだそうです。

西暦700年の大宝律令で国司が現在の三島市に設置されたとき、ここ白浜神社の御祭神であった三島大明神だけが移され、現在の三島大社が建築されました。

そして、残ったお后、伊古奈比咩命(イコナヒメノミコト)が白浜神社の御祭神として残ったのです。

つまり、現在の三島大社の御祭神は、もともと白浜神社の御祭神だった三島大明神を引っこ抜いて祀っているという訳で、3万年以上の歴史を持つ伊豆半島の古代海人たちの祈り神を、時の政権が勝手にひょいと移してしまった・・・ということだそうです。

まあ、横暴というか、浅計というか。

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅3(白浜神社遺跡)

白浜神社のご本殿、この裏山の禁足地に古代祭祀遺跡がある

 

「大島の噴火」と「黒曜石の採石と海上輸送」という事情で、白浜海岸周辺はケタ違いに古い祭祀の歴史を持つ海岸線だと言えるみたいです。

日詰遺跡レポートでも白浜神社周辺からは特に多くの遺跡が発掘されているという記録があり、白浜神社遺跡で行われたような古代の海の祭祀が、ここら周辺のあちこちで行われていたということです。

取材中に、白浜神社の巫女さんから聞いたのですが、白浜神社では毎年10月29日伊豆半島最大の例祭があるそうです。その例祭の前日(28日)の午後5時半からその祭りの開始を伊豆七島の神々に知らせるために白浜海岸で巨大なかがり火を焚くそうです。これは火達祭(ひたちさい)と呼ばれ多くの見物人が来るそうです。

残念ながら、今年の火達祭は先週終わったばかりでした。きっと3万年前の南伊豆の古代海人たちもこうやって祈ったのでしょう。

東北大震災以来、いつ来るか分からない巨大津波(弓ヶ浜では津波の高さは25mと想定されている)にビクビクして毎日生活するくらいなら、この白濱神社の火達祭に参加して旧石器人のように「海を鎮める」祈りを神々に向かって送りたくなります。

3万年以上営々と続けられている祭祀行事ってすごいですよね、伊豆半島の東側沿岸の南部エリヤに住んでいる人々にとって、もっともっと自慢できる古代郷土史だと思っています。

年に一度は、われわれのルーツである白濱神社に参拝に行きたいですね、私はこのブログを書き終えてそうすることに決めました、あなたもご一緒にいかがですか?

白濱神社の火達祭の詳細はこちらです。
http://www9.ocn.ne.jp/~ikona2/newpage3.htm 

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅3(白浜神社遺跡)

火達祭(ヒタチサイ)前夜には七つのかがり火を焚いて伊豆七島の神々にご挨拶する

 

白浜神社の本殿の裏山には海一望の古代祭祀遺跡がありますが、現在は禁足地となっていて関係者以外は立ち入り禁止となっています。残念ですね、きっとそこから見ると大島が眼前に迫って見えるんじゃないかと想像しています。

さて、私は、本殿にて一礼二拝のあと言霊を奏上いたしました。

「3万年の聖霊たちに、かしこみ、かしこみ、もうまおす、白浜神社のおおかみ、守りたまえ、さきはえたまえ~」

すると、帰り際、大島方面から南風が吹き出し、白浜の白砂が舞い、渚がざわつき・・・。

八百万の精霊たちから返礼をいただきながら車を弓ヶ浜方面に走らせて、私の「南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅」はひと休み。

これからは伊豆半島の最南端の南伊豆に鎮座する八百万の神々たちと少しづつお話をするようにパワースポット巡りを継続していきたいと思っています。

読者のみなさん、3編最後までおつきあいいただきありがとうございました、弓ヶ浜でお会いする機会がありましたなら古代郷土史についてご紹介させていただきます。

ありがとうございました。

 

白濱神社のおおかみ、まもりたまえ、さきはえたまえ。

 

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅1(日詰遺跡~洗田遺跡)はこちら

 

南伊豆、弓ヶ浜周辺の古代遺跡を巡る旅2(弓ヶ浜周辺の古代祭祀遺跡)はこちら

 

私が経営する「弓ヶ浜へ30mのコテージ伊豆.com」のサイトはこちら